生きる意義

老齢になると、生きる意義を見出すことは、人生において重要な課題のひとつというよりもはや自分にとってとても大変大事だことのような気がします。なんだかあっという間に、気がつけばこんな年にという感じです。

虚しいかどうかは別にして、ふと気がついたときに自分がこの年齢になっていることに驚愕します。遡ると失敗や失敗続きでうまく行ったなんてことは数えるほどしかありませんでした。それでも、このぐらいになると生きる意義を見出すためのアプローチが必要になりますというより生きる、生きてきた証みたいなものが欲しくなる感じです。

 生きてきた証、生きる証は自分が興味を持つことや、好きなことを追求することで、生きる意義を見つけられるのでしょうか?わかりずらいです。

ふ〜む、自分の趣味?気がついたら趣味らしい趣味は全くないことに気がつきました。なんの趣味もない!初老の男が一人でいることに気がつくんです。例えば、趣味やスポーツ、アート、科学、社会貢献活動など、自分が関心を持っている分野を探してみても何もないことに気がつきました。

次は、他人に貢献することを考える:というのはどうなのだろうか?他人の役に立つことや、誰かを助けることで、生きる意義を見出せるはずかもしれません。人に世話になるということがあっても世話になるという発想はまるで出てきません。もともと、他人に貢献するということ言うのは難しいですよね〜

それじゃ、 自分自身を成長させることで、生きる意義を見出す。これならできるかもしれない。例えば、自己啓発書を読んだり、スキルアップのための勉強をしたり、新しいことにチャレンジすることで自己成長を追求することができます。成長ね〜この年だしねそんな簡単に自己啓発なんてできるものではないと言う結論のような気がします。

そうなってくると、自分自身の人生における哲学や信念を考えたら、生きる意義を見出すことができるようになるかもしれません。例えば、自己実現や幸福追求、社会貢献など、自分自身が大切にする価値観を明確にするこれは意外に大事かもしれないが今更と言う感じがもちああがってきます。

結局、何かを試してみることで、自分自身にとっての生きる意義を見出すことができるようにするのが良いのかもしれません。その上で、生きる意義を探す旅をするのが大事なのだと思います。

結論は、生きる意義は一つではなく、人生の中で変化することもあります。自分自身と向き合い、柔軟に捉えることが大切になるのでしょうね。自分の生き様が晩年ということになるのかもしれません。

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