Windows10のマシンを使っている

ある時、windows11にアップグレードを試みたところWindows11にアップグレードができないと言われちゃいました。とは言っても、捨てるわけにも買い替えるわけにも行かない状況でコレからどうするってことになってしまいました。

Windows 11 にアップグレードできない理由はいくつか考えられるそうです。ちょっとそれを見ていきましょう。と言いても意外にハードにの構成やソフトに弱い表面上のユーザーなのでこれは本当に困ったものだ。まずは、

ハードウェア要件を満たしていないとアップデートができないようです。Windows 11 は、Windows 10 よりも厳しいハードウェア要件を設けています。

まずは、プロセッサ: 1 ギガヘルツ (GHz) 以上でデュアルコア以上、互換性のある 64 ビット プロセッサと来ました。プロセッサは中央演算処理装置と、ま〜日本語では言うようです。よく聞くCPUはコレを意味するようです。驚きますね〜中央演算処理装置=CPU=プロセッサと間なるのだそうな。

このCPUは、さまざまな計算処理、プログラムの実行、データ処理、入出力制御と今のコンピュターができることを全部やっちまうところだそうです。

このプロセッサ、画像処理GPU、。デジタル新処理DSP などなどちょっと色々なものがあるようです。

ところでこのCPU1GHz以上のデュアルコア以上で互換性のある64ビットプロセッサでなければWindows11はインストールできないと言うことになっているようです。

1GHz以上のプロセッサという意味は1秒間に10億回以上の計算ができるプロセッサという意味なんだそうです。これはクロック周波数という概念で数値化し単位はヘルツで1GHzは1秒間に10億回の計算をすることを意味するそうです。

それじゃ、コアというのはなんなのでしょうか?コアはプロセッサの中に小さな作業員のようなもので処理単元と呼ばれるものでコアの数が多ければ多いほど計算速度が上がります。

と言おうことで、Windows11をインストールするためのプロセッサの基本は1秒間に10億回計算ができ処理単元が二つ以上(デュアルコア)と言うことなります。

次は、メモリについてです。まずはメモリには揮発性と不揮発性の2種類のタイプがあルようです。揮発性は、電源を切るとデータが消去されるメモリです。不揮発性というのは電源を説出してもデータが保持されるようになっています。いや〜今まで、揮発性メモリと不揮発性メモリがあるということを知りませんでした。大きさはどうであれ、データを保存するための場所で作業場所のようです。

わかったようなわからないようなことになってきましたが。それはそれで良いのだと思います。メモリ記憶装置はバイトという単位で表しています。この辺になると難しいというよりあまり知らなくても良いことん猪首をつっこんでいる感じがしますのでこの辺でやめときます。コンピュータは2進法でなんてところまでいっちゃいそうなのでこの辺にしておいきます。

ただし、揮発性と不揮発性のメモリがあることはよく理解して置く必要があると思います。

ところで、コンピュータの最小単位はビットです。ストレージとはコンピュータでデータを保存するための装置の総称です。データを長期に保存するためのものです。

さてさて、やっとここまで来ました。と言ってもみんしていk音ばかりなのでしょうね〜自分には初めてのことばかりでした。この歳になってやっと色々なことを調べてみたいと思っています。

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血糖値を測る

血糖値をことの頃1日に何回か測っている。というのも3、4日前めまいがひどくあまりにも体の調子が悪いので血糖を測ってみるとなんと200もあった。

これはどうしようもないそれこそ死を意識した。ちょっと大袈裟だけれど自分では結構真剣だ。その後慎重になって食事やら運動にちょっとだけだけれど気を使うようになった。

気を使うとコレが体のメンテナンスになったのだろうか少し調子が良くなってきた。取りも直さず大事を取ろうとする本のが動き出す。これもまた不思議なものだ。

自分ではどんなことをしようとしても調子が悪区なる時な悪くなるし良くなる時は良くなるものだと思うがそんなことはもうどうでも良く律する事が大事だと感じるものなのだ。

ということで、雨の中歩いてきて血糖を測ったらコレまた良い値なり!このまま良いと良いのだがそれはそれ、コレはこれ、あてのない調子を見ることにしたいものだ、

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疲れた体

この頃調子が悪いのだ。調子が悪いのはわかっているのだがどうにもなりませぬ。この理由をわかるようにするために血糖値を無制限に計測している。

血糖値は概ね良好で食後2時間値が150前後と落ち着いてきた。それでも調子が悪い時があるのは仕方がない。ご飯は食べなくなってきたので調子が良くなってきた。久しぶりに自分の顔を見たけれどまるで日本人の顔じゃない顔になっているのに驚いた!

さてさて、今日は早く家に帰ってゆっくりしたいと思っている。月曜日にまた木こりをするためだ。全く、理事長なって名ばかりで何でも屋に陥っている。

苦しいかもしれないが、頑張りどころかもしれないな〜

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思うこと

この頃、想いに耽る事が多くなった。年のせいかと思うがそれも仕方ない。いつの間にか歳をとってしまったと思うようになったのは1年か2年前だ。

その時、いつの間にか50年もすぎてしまったと思った。年齢を否定したかったのか、本当に歳をとったと感じたのかはわからない。

今の精神的年齢は50歳か60歳のように思う。そう思うわざる得ないのか率直にそう思って至るかはよくわからない。でも歳をとったという概念がまだないというのが現実だ。

コレからもこんな感じで生きて行く!生きて行きたいと思う今日この頃ではある

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毎日コツコツと

去年は色々な事がありました。まずは前立腺がん騒動、あるいは社長クビ騒動そして事業買収騒動などなど色々あって何もできないというか?

ブログを書いている暇もなくなってしまうような状態になっていました。その上、血糖が盛り上がり大変なことになってしまっていました。

さてさて、そんなことはどうでもよいのですがまた、シコシコブログを書こうかなと考えるようになった今日この頃……..

やっと落ち着いて書こうと思い立ちました。そう、もう十分かもしれません。コレからは心を落ち着けて何事も十分に咀嚼して仕事を家庭をそして生きることを考えていこうかなと思うようになりました。

ということで、コレから毎日を目標にブログを書いていこうかなと思います。

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エイジレス社会:年齢に縛られない輝く未来へ

2024年2月22日、日本は超高齢社会の真っ只中にあります。かつては「定年」という言葉が人生の大きな節目でしたが、現代では60歳を超えても仕事を続けたり、新たな挑戦を始めたりする人が増えています。自分の法人でもエイジレス社会を目指して取り組みを開始しています。

このような社会変化を受け、近年注目を集めているのが「エイジレス社会」です。エイジレス社会とは、年齢に関係なく、個人の能力や適性を尊重し、誰もが自由に生き生きと活躍できる社会を指します。そのためには、元気な高齢者の雇用を促進しています。

特に、資格が必要な人には資格を取得する機会を与えるようにしています。

エイジレス社会のメリット

エイジレス社会には、様々なメリットがあります。

1. 多様な人材の活躍による社会全体の活性化

年齢に関係なく、誰もが自分の能力を発揮できる社会は、企業にとっても大きなメリットとなります。経験豊富な高齢者と、新しいアイデアを持つ若者が互いに協力し、より良い社会を築いていくことができるでしょう。

2. 個人の幸福度の向上

人は誰しも、年齢に関係なく、自分の能力を活かして社会に貢献したいという欲求を持っています。エイジレス社会では、自分が望む仕事や活動にチャレンジできる機会が増え、個人の幸福度向上にもつながります。

3. 社会保障制度の安定化

少子高齢化が進む日本では、社会保障制度の維持が大きな課題となっています。エイジレス社会の実現により、高齢者が働き続けることで、社会保障制度の負担を軽減することが期待されます。

エイジレス社会の実現に向けて

エイジレス社会を実現するためには、様々な取り組みが必要です。

1. 企業における意識改革

企業は、年齢にとらわれず、能力や経験を重視した採用・評価制度を導入する必要があります。また、高齢者のための研修や健康管理プログラムなどを提供することで、長く活躍できる環境づくりを推進することが重要です。

2. 政府による制度改革

政府は、定年延長や再雇用制度の拡充など、エイジレス社会に向けた制度改革を進める必要があります。また、生涯学習の推進や、介護と仕事の両立支援など、多様な働き方を可能にする環境整備も重要です。

3. 個人の意識改革

エイジレス社会は、個人の意識改革も必要不可欠です。年齢に関係なく、新しいことに挑戦し続ける意欲を持ち、学び続ける姿勢が重要です。

終わりに

エイジレス社会は、誰もが輝く未来への希望です。企業、政府、そして個人が力を合わせ、この社会を実現に向けて努力していくことが重要です。

まとめ

エイジレス社会は、様々なメリットをもたらすだけでなく、社会全体の活性化にもつながります。私たち一人一人がエイジレス社会について理解を深め、実現に向けて行動していくことが大切です。

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苦悩

人間は難しいものだ。特に血のつながりは悲しいくらい難しい。理性が全く通じないからだ。昨日のことだが、九六歳になる母親が介護してもらいたいと言い出した。確か要支援一だったはずだから介護はしてもえらえないと言うより同居人がいると何もしてもらえないはずだ。

といっても、呼べというので介護支援専門員の方に来ていただいて相手をしてもらった。どうなっているのかはわからないが、結論は同じだったが、被害を受けたのは自分の連れ合いでご飯を作ってくれない。もう、餓死すると訴えているのだ。

驚いたのなんのってこれじゃ虐待だから大変なことになる。実際はそんなことはないのだ。もう、ここまでくるといじめだな。これじゃ形だけでも女房と別れることが必要になりそうだ。

父親も健在で九七歳だ。よくご飯も食べているし元気にしている。父親は被害妄想がないので、大丈夫なのだが、母親はちょっと大変かもしれない。

高齢者の扱いは慣れているのだが、どうも肉親となると厄介だ。どうなることやら考えてこれからのことにけつろんをだしていかないといけない。まあ、そんなところか?

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前立腺がんの疑い

去年のちょうど今頃、忙しく仕事をしていた。ある朝起きてトイレに行ったらおしっこがピンク色になっているのに気がついた。これは、大変かもしれないとその時頭をよぎった。

もう、1回血尿が出たら医者に行こうと決めたのだけれど、また、トイレに行ったらピンク色のおしっこが出た。これは尋常でない!すぐに近くのクリニックに行くことにした。そこはなんと言っても、泌尿器科の先生だからだ。

結構不安だった。なぜかわからないが不安がよぎった。ちょうど雇われだったけれど代表取締役が任期で降りることになっていたのとタイミングが一緒だったからかもしれない。

初診の時はドキドキしたが、小水の中には異形細胞はなく、超音波検査も前立腺肥大を指摘されたが、概ねガンはなさそうだと言う話でちょっと安堵したのだが、その時検査した血液検査の結果が重大だった。前立腺がんの指標となっている血液検査項目のPSAと称する検査値が異常に高いことが問題になった。

その値は正常値が4で自分の検査値は25だった。クリニックの医者は前立腺がんの可能性があるので、まずはイメージイングセンターでCTの検査をしましょう。と言うことになった。

元来、ビビリで小心者だから、これはどうなるのか?自分は死ぬのか?なんて事を考えてしまった。とりあえず、CT検査をそのイメージングセンターなるところで予約したので検査までどうにもならない状態になった。

当然だけど、ネットで四六時中調べ、知り合いの医者に聞きまくって自分なりに結論を出そうとしたのだが、それはそれで難しい。

どうやら、前立腺がんの可能性が高いようだ。そんなことを考えているうちにCTの検査を受けて検査結果がクリニックに届いているので来るようにと連絡が来た。

クリニックの医者は検査結果を見てちょっと驚いたようだったが、まあ、率直に診断結果を教えてくれた。医者は事実をありのままに伝えるんだと知ってはいたが、何も隠さないのだ。

前立腺がんの肺転移だと、前立腺がんでしかも肺に転移していると宣告された。そこでMRI検査をしましようと、はいとは返事をしたものの、前立腺がんの肺転移なら余命3ヶ月と言うところだと直感した。肺転移は最悪だ。死の宣告に等しかった。

ところが、あまり心が動揺していないことに後で気がついた。ビビリの小心者なのにどう言うわけか動揺していない。動揺していないわけはないのだが、それでもどうしたものかわからないが実感が湧かなかったのかもしれない。

MRI検査までは2週間ほどあったのだが、宣告されて1日が経ち2日、3日となってくると結構、心に動揺が起きてくる。MRI検査をしたらどうなるのか?結果は変わらないのじゃないかと言うより余命は肺転移だから3ヶ月程度だろうと、自分で予測してしまった。

宣告されて4日目にある決心をした。本当にガンならイヤイヤ 肺転移なら諦めなければならないと言うより今の仕事をなんとか譲っていかないとけない。

それにしても、肺転移というのは辛い。とにかく、今の自分の体の中に何が起きているのかを調べないといけない。そのためには知り合いを頼っても大きな病院で診てもらうことが必要だと決心して昔世話になった大学教授に恥ずかしながら電話をして率直に話をしてアドバイスを求めた。

やはり、率直に話をして良かった。超特急とは行かなかったが大学病院の泌尿器科に紹介されて、再度、血液検査を行いMRI検査をすることになった。

その時の血液検査のPSAの値は同じくらいだったが、大学病院の泌尿器科ではPSAの値は確かに高いがガンだと言うことはできない、そのほかの検査値はガンかガンじゃないかの境界にある。やはり、MRI検査を行うことが必要だと言う結果だった。

肺転移の前に前立腺がんかどうか検査しないとわからないらしいと言うことがわかってきた。え!前立腺がんの可能性はあるものの検査しないとわからないと言うことらしいが、やはり前立腺肥大は相当なものだと言うことはその場で宣告された。

前立腺肥大でもこのPSAの値は上昇するらしいのでMRI検査がどうやら確定診断に近いものになるらしい。前立腺のMRI検査を予約して帰ったのだが、ほっとしていいのやら悪いのやらわからない状態になってきた。

その後、MRI検査を行ったのだが、どうやら前立腺がんの可能性は非常に低いと言うことになったので経過観察ということになった。ただ、知り合いの大学教授にはタバコをやめろと強く言われて半世紀にわた喫煙に終止符を打った。

あれから、約1年経ってだいぶ調子が良くなってきたし、これからだという気持ちになってきて健康に留意するようになっている自分がここにいる。

蛇足だが、糖尿病の可能性も否定できないので運動と禁酒そして栄養管理を行なって現在に至っている。そのことについては今度書き残しておかないといけない。

今日はここまでにしておくが、1年前前立腺がんの肺転移といわれたが。誤診でよかった!そして今がある。人に感謝して生きることも大事だと改めて思った次第。

この1年を無駄にしないでこれからを大事に生きていこうと決心した。

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マックとWindowsマシンの使い分け

何もわからないと言うのは罪なのかもしれない。結構辛い思いをすることが多いのだ。聞くに聞けないし調べてもなかなか見つからにことが多いし、見つけたところでほんとにそこで自分の欲しているものがあると言うことはないことが多い。

さてさて、今回は少し考えながら仕事を進めようと思って色々なことをやっている。それを少しづつ書いていこうと思うのだが、これがね〜結構面倒だ。と言うのものなんのデバイスを使って書くのがいいのか?まずそこからだ。

と言うのも、この20年ぐらいアップルコンピュータを使っている。iPhoneにiPadそれにマックブック、iMacも使っていたこともある。一方仕事となるとWindowsを使うと言い二重生活が続いている。

どうしてこんな生活になっているのだろうか?てなことは考えてみた事は数年前まではなかった。Appleで結構エンジョイライフという感じだった。もちろんいろんなことをやるわけじゃなく写真を撮ったり、文章を書いたり、単純なデジタル生活といえばそんなところだった。

ところが、平成29年ごろだったか?なんとなく行政に提出する文書がエクセルを主体とした報告書が急激に増加した。その中には、マクロを使った敷き顔おっきなウエイトを占めるようになり、ある日、そう突然ある日Appleのエクセルでは全く動かない状況が生じてきた。

慌てて、行政に電話したり連絡したりとappleコンピュータでできないのですがと問い合わせても、そうなんですよWindowsでお願いします凸れない返事が返ってkルウばかりになった。

そんな、こんなで結局windowsマシンを購入せざる得なくなって今に至っている。ところが、ここにきてWindows10からWindows11に移行するようになって、これがまた、大変なことになってきた。使っていたマシンがWindows10からアップグレードできませんときた。

そこで、抜本的に考え直さなければならない状況がまた起きてしまったのだ。何sw、このソフトは10では使えませんときた。なんだかどうなっているのか?これはちゃんと知っていないと大変なことになるという気がしてきた。

そこで、どうしようか考えていい方法を取り入れていくことが必要だ。まずはAppleとWindowsの問題だ。まあ、どちらも初心者みたいなものだから簡単にどちらかに決めればいいのだが、それがね〜なんと言ってもAppleには愛着みたいなものがあるし、Windowsは仕事で使う。

悲しいさがだと思うのだが、もはやどうにもならないような気がするのだ。ということで、仕事場では思い切ってWindows、家ではAppleを使うこちにする。もう、これ以上は無理だからこの形でしばらく、マシンは持ち歩かず仕事に趣味に集中することにしようと決めて。今セッティングをしている。

セッティングをしながら、このブログでappleで打っている。結構快適だ。ところで、今使っているappleはM1MacBook Airに27インチのディスプレイを繋いで使っている。これ結構快適に使えることがわかった。

いや、この組み合わせで使い始めたのは初めてで結構いい感じだということがわかってきた。ちょうど、夕ご飯を食べろと言われて食べ終わったところで、再度打つことにしよう。

今日は家に帰ってきてMacBookをセッテイングして自分にとって使いやすいようにするというのは結構いい感じがするものだ。

今から散歩に行くので返ってきたらまた書こうかな。

というところで、散歩から帰ってきたんだけど。ちょっとだけ続きを書くと、今の感じはよくわからないコンピュータをじっくり使うことにしたいと思うようになった。

欲張りかもしれないが、今そばにあるデバイスを使い回したいという想いが強くなってきたというところで今日は終わりにしたい

コンピュータに使われるのではなく使う方に回りたい。

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不安と不信そして不満

自分で生きていることを振り替えてっ見るといつも不満を持っていきていたような気がする。いつも持つっている不満とはなんなのか?よくわからない。何か実現できない不満かもしれないし、感情的不満かもしれない。とにかく不満の心があった。その不満は信頼できない不信が加わるともはやいてもたってもいられない状況になる。

それが漫然とした不安の塊がある。今も何が何だか割らないが不安を抱えて生きていることが苦痛なのだ。だから、不満と不信と不安を取り除くことが必要だ

いつも変わらない。動かない、動じない心を持ちたいものだ。

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