保険請求

昨日は訪問看護の保険請求の第1位t段階として介護支援専門員の了解を取るために利用者の1ヶ月を見た回る仕事があった。

自分を振り返るよりも目の前にある仕事をやり終えないといけない。簡単には行かなが、介護保険の特性上自分達で整理をして介護支援専門員に送ってそれからその介護支援専門員の承認を受けて初めて国保や社保に提出する、

どないなってのかわからないが医療よりは遥かに複雑な手続きをとっている。その上で介護新専門員の事業所と実際に訪問する事業所には明らかに上下関係がある。

ケアマネ事業所の遥かに上だ。なんと言っても事業所からの依頼がなければ干上がることになるからだ。いやいやホントに介護業界の一端を保険請求を通して垣間見た。

どんな社会も発注と受注があって、発注する方に力があることは間違いない。この人たちのご機嫌を取らないとなかなかことは進まない。

ところでこの保険請求は去年の5月ごろからやっている。これについては折々書いてみようと思うが何ぜ年が年許されれる範囲で思ったことや今の感じを書いて行こうと思う。

まあ、後悔していると言っても、誰も読んでいるわけじゃないだろうから思ったように書いて行こうと思っている。

カテゴリー: 介護 | コメントする

中学生の頃

小学校は結局、神奈川県のK市で卒業した。そんな時父親が東京都下の地方公務員に就職できたので中学校は東京都下のI市にある中学校に通っていた。

なんてことない中学校生活だったが結構顔が大人びていたのでしょっちゅう剣画を仕掛けられて大変な思いをしたが、小学校の低学年のようにお金持ちからは遥かに遠く貧困の極みだった。

何せ、御馳走といえばご飯だった。食べ盛りだったのでご飯と納豆だけで何倍も食べることができた記憶がある。家は貧乏の極みだったので、牛乳配達やゴルフ場のキャディ、それに新聞配達なんでもやった。

何せ、長男だったし弟が二人いた。働かなきゃという責任案みたいなものがあった。不良にならなかったのは貧困とアルバイトのおかげかもしれない。そう思うとあの頃は食べることだけが自分の人生だったのかもしれないと今は思う。

お金はなかったがきっとそれが今の自分を支えているということができるかもしれない。あの頃のゴルフ場のお客さんで生きている人はほぼ誰もいないだろうな〜なんて思う今日この頃の年齢になった。

運動神けは悪いし、勉強も意外にできたと思っていたが中の上ぐらいだった記憶がある。その頃付き合っていた人と今は連絡をとっていいない。一人寂しく生きているのは付き合いが浅かったからかもしれない。今もそうだが男運は悪かったし深く尽きある人はいなかった。それが自分の今の人生に凝縮している。

そうあの頃の人生が今の自分を決めているような気がするのは老いぼれの郷愁かもしれない。儚い人生だったか?いい人生だったかはこれから決めるのかもしれない。

老いぼれても決して諦めない!それを心に刻んで生きて行こう!

カテゴリー: 雑感 | コメントする

小学生の頃

小学生の頃は宮城県のIという町に住んでいた。その頃家は結構羽振りが良くて金持ちのボンボンという感じの生活をしていたように記憶している。

何がって、小学校3年ぐらいまでは算数も国語もまるでダメ!自然のままで育ってもう馬鹿丸出しで生活していたように思う。

それが、小学校3年の夏小学校の近くに家があったものだから毎日海パンで学校のプールに通っていた。ある日担任のA先生に教室に呼ばれ、一人海水パンで補修事業らしいものを受けていた。馬鹿だから、それから毎日海パンでプールにと入るつもりが小学校に行けばA先生に事業を一人で受けるという日が続いていた。

今考えると、勉強しに行くのだから行かなきゃ良いと思うのだが海パンはいてプールに入りに行こうとして勉強を教えてもらうというのが夏休み中続いた記憶がある。もう60年も前の話なのに今でも鮮明に覚えている。

小学校4年になった秋口のある時東北本線と父親が経営していた会社のダンプが事故を起こして会社が倒産してしまい一家揃って東京に出てきた。

確か、親父はその時夜警の仕事についていたという記憶がある。小学校4年生で東京にそれは東北から東京だから学校ではズーズー弁を馬鹿にされた思い出がある。それでも海パン勉強で少しは勉強ができるようになっていたらしく結構勉強はできた記憶がある。

今考えると、小学校の海パン補習が自分の人生を変える第一の節目になったような気がする。A先生にはその後会っていないが自分の人生では恩師と言っても過度んせはないだろうな。

その後の人生には少なからず大きな影響を与えてくれたと思う。今日は1月1日改めて感謝した。人生は不思議なものだとつくづく思う。なにが起こるかわからない。

小学3年生の海パン補修、そしてコペルニクス的な裕福から貧乏に、そして東北から東京へ変われば代わるものそれが人生といえば人生なのだろう。60年も前のことなのに断片的だが思い出す。子供ながらも激しい変化だったので断片的にフラッシュバックする。

会社が倒産した後、親戚と銭湯らしきところに行って邪魔者扱いされたっけ!そんなことも今日思い出した。ふ〜む、自分の人生だけれど振り返るって悪くない。

明日もまた、書こうかな。

カテゴリー: 雑感 | コメントする

もう一度やり直したい

ブログを書かなくなってしばらくになった。今日は12月31日だもうすぐ年があける。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。どうのこうの言うわけではないが儚い一生だったような気がして後悔が先に立ってきた。

あれも、これも何もかもやりたいと思ってきたが今はなんとなく放心状態だ。一昨日山梨の保養所にやってきて仕事を始めたのだが感慨深いものがある。この保養所は大好きだし社長とし随分頑張ってきたと思っていたのだが、年末から正月の仕事は今年イヤイヤ今回で終了になる。

この仕事は楽しかった。平成20年からだからもう12年もやってきた。感慨深いものがある。もう少しでおしまいだ。確かに歳は重ねたがまだまだと思ってきたが残念と言うよりは感慨深い。そんなこんなで仕事をしているところに東京から連絡が入って今東京に一人でいる。

仕事は介護福祉施設だ。1月1日から新たな介護ソフトを動かすことになっていたのだがトラブルだ。このトラブルを遠くから眺めるわけにもいかず、とうとう東京に舞い戻ったのが午後3時頃なんときた瞬間に動き始めた。拍子抜けしたがそれでもホッとした。

また、山梨に大好きな保養所に年末年始の仕事としては最後のご奉公をするために戻ることにした。

社会福祉の仕事は面白いがそれはまた今度書くことにして、徒然のままに書くと自分の人生を振り返っていた。なんだろう?よく分からないがこのブログをもう一度書き始める決心をした。それも日記風に考えれば、考えるほど不思議な人生だったような気がする。

始まりは、そう、あの病院に職員として入職したことから始まった。それまではごく普通の脳足りんの男だったような気がする……..

忘備録というより懺悔の日記になりそうだが、それもそれで残しておきたい。

カテゴリー: 雑感 | コメントする

介護ソフトをいじりはじめた。

今年の4月だったか、介護保険の改正があって大変なことになった。と言うのも保険が通らない。もう国保連とのやりとりが大変だった。

ことしの6月ごろ、なんと福祉充実計画を立てろと行政から命令があった。

そこで、介護ソフトを入れ替えてタブレットを職員に配ることにした。お金って使えごたえがあるなと思っていたのだが、介護ソフトの入れ替えで四苦八苦しているのが現状だ。

何も考え巣に入れていかないと大変なことになるのでシコシコと初めている。期限は12月3日間に合うかな〜

やり始めたらやめられないところが悪い癖今日中に話をつけたいものだ。

カテゴリー: 特養 | コメントする

調子が悪い!

どうも、調子が良くならない。特に泌尿器系があまりよろしくない。以前は糖尿病の前駆症状だったのだが一難去ってまた一難!今度はどうも泌尿器系がおかしい。数えたことはないが頻尿のような感じがする。もはや、ブログを書く気力はもはやなかったのだがふり絞って山梨の山奥に仕事でやってきた。

なんだか、調子が悪いのは仕方がないにしても、仕事が進まない!イライラするばかりだ。思いついたのがしばらく書いていなかった。ブログの存在だった。

まあ、独りポッチ2だから、肩肘を払うに少しずつ毎日書こうと思っていたのだが、やはり、体調が悪くなると二進も三進も行かなくなる。

それでも、思い立ってもう一度最初からやり直すことにした。今日は朝から猛烈に働いた。猛烈を通り越してクタクタになるほど働いてみた。少し調子が戻ってきたような感じがする。

カテゴリー: 未分類, 雑感 | コメントする

今日は休日だった⁈

今日は祝日だった。いやはや忘れていた。仕事がちょいと忙しかったのだ。あれやこれやとやることがいっぱいだ。嫌になるほど忙しい。まずは〜保険請求の点検から始まって会議があってほとほと疲れ果てた。

ぐったりしている暇もない。明日はなんと行政に部下が呼び出されている。なんだか嫌になるようなことの連続で行政対応は一番疲れるのだ。一応のレクチャーをしてやっと一息が今の時間なのだ。要領が悪いのかも知れない。少し頭を冷やしてもっと効率良くやらないといけない。

またしても、体の調子が悪くなっては困る。それなりに色々な面に気を使いながら仕事を続けよう。体に注意をしながら着実に・・・これをモットーにしようと思う。

とは、言いつつストレスのせいか山盛りのご飯を食べてしまった。自戒!

カテゴリー: 雑感 | コメントする

今日はお休みをしようか?

この頃忙しかった。昨日は1日選挙を見ながら仕事をしていた。あまり関係ないようだが気分は良くなった。これからが大変だが仕事を続けていく意欲が湧いてきた。

なんとHPの一部が消えていたのだ。驚いたのなんのってまた仕事をしなくてはならない事態に陥っていた。会社のHPは自分でつくている。これも経費削減だ。古臭いと言われるかもしれないがHPの制作にお金を出すのがもったいない。

出来るだけ経費をかけないようにいいHPを作っていたつもりでもこの頃見ていると古臭い。まあ、自分の歳も歳だから仕方がないがまめに更新しているので検索では一部を除いて上位に来ている。これもそれも継続は力なりと言うことかもしれない。

年も70歳になったのでこれからどうなるか?分からないがそれでも負けずに頑張ろう!と思えるようになってきた。

これからもうひと働きして一息休みを入れて巻き返しを図ろうと思う。

もうちょいとの辛抱だ。

カテゴリー: 雑感 | コメントする

選挙に行ってきた!

今日の朝家に帰ってきた。なんと言っても今日は選挙だ。今まであまり選挙に興味がなかったのだが、最低賃金が1,500円なんて途方もない政党が出てきて最早パートを全員首にしなければならないような状況が生まれようとしているらしい。

それこそ、我々のような中小零細企業はアウトとなりかねない政策がさも実現しそうな勢いでマスコミが報道している。首を絞められているような気持ちになって居ても立っても居られない状況になって投票するために帰ってきた。

いくら、地上波はおかしいと思っていても、やはりそれに左右される人たちはいる。それを決して悪いと言っているのではない。投票は自由だからだ。それで、首を締め付けられる中小零細のことは誰も考えてくれない。

中小零細というより自分の首が締め付けられるようなことになってはならないと思うからだ。今まで、投票に行くより仕事をしている方が多かったが今回は無理矢理でも投票にいかなければならない。自分の生活がかかっている。

こんな緊迫した感じは初めてだ。あの悪民主党政権の時でさえこんな感じを覚えなかった。なんだかよく分からないが、とにかく緊迫感がある。たった1票だから大勢に影響はないと思うのだが、それでもと言う衝動は初めてだった。

投票してなんとなくほっとしたが、政党に入党しようかなと思う気持ちも持ち上がってくるのは自分でも恐ろしいような感覚のような気がするが・・・・

さてさて、開票までもう少しだが今日は人生初めて徹夜で開票速報を見るようになるのかもしれない。政治なんて遠い世界のように思っていたがそんなことはないようだ。どんな結果にしろ緊迫感を持って生活しようとひしひしと感じるのは恐ろしい。

ルンバを清掃しながら、選挙速報を見ようと思う。

カテゴリー: 雑感 | コメントする

ルンバの修理、考えさせられた〜

数年前、山梨の保養所で一人になったことがある。その時掃除のお手伝いさんとしてルンバを5台購入した。もはや掃除はルンバに限るとその時確信したたのだが、人を雇い始めるとおかしな話だがルンバ不要論が台頭してお蔵入りしそうになった。

まあ、直接働かなくなると決定権も無くなって山梨では必要なくなった。そこで、今度は東京に寝室することになった。東京でも目の見張るような働きをしてくれたのだが、なにせメンテナンスが悪い。埃だらけで部屋の隅に追いやられていたのを昨日発見した。

山梨の戦友がこんなところで埃を壁っているとは我慢できなかった。本社に持ち帰って修理をしながらどうしてこんな働き者が使われなくなるのか分からなかった。

誇りを払って、バッテリーを取り替え、ブラシを交換したら結構動くじゃありませんか。本社はだあれも床掃除をする人間なんていないのでルンバを総辞任として雇用することにした。

やっぱりよく働く感心するくらい働くのだ。きっとそのうち綺麗になるはずだ。これからもう一でルンバの活躍する勇姿を見ることができると思うとワクワクする。

日本人は変わったと思う。まずは掃除をしなくなった。ルンバのような働き者でさえ目に入らなくなってそれで、自分で掃除をするのかといえばそんなことはしない。仕事の基本はなんと言っても掃除だと思うのはノスタルジックな考えかもしれないと思うと残念だ。

計6台全部掃除を済ませたが、バッテリーの調子が悪いものが2台動きがちょっとおかしいのが1台修理すればまだまだ使える。

修理をする?やっぱり変わっているのかもしれない。自分お体のメンテナンスを大事だということに改めて気がついた。

本社は最低限の人数で仕事をしているのでルンバの活躍が必要不可欠だ。少し愛して、なが〜く愛して掃除をしてもらうことにした。

カテゴリー: 雑感 | コメントする