その医師は

その日の朝、よく覚えている。社員の車に乗せられて某病院の前についが、確か7字30分ぐらいだと思います。その時その病院の玄関にはその古い友人が待っていてくれました。病院開始の1時間30分前にも関わらずです。

先輩、やっぱりね何かあるかわからないから早く来るとは思っていたのですが、昔と全く変わりませんな〜そう言うところは〜久しぶりって確か30年ぶりぐらいなのに自分の癖まで知っていてくレました。とても嬉しかったと同時に自分の不義理を詫びた。詫びても返す言葉もないくらいでした。こんなことでこんなにお世話になってどうしようもなく涙腺が緩んでしましました。

嬉しくもあり、自分の病気のせいでこんなに迷惑をかけているのになんの屈託ものなく昔のままで接してくれる友の友情に感謝していました。

とは言え、病院の中に入っていくとこれは大きい確かに大きい病院でこちらが恐縮する状況でありました。なんとも驚きを隠せないほどの大きさでした。現代の病院はこんなに変わって近代的なものになっているとは知らずにいた自分が恥ずかしいくらいでありました。

病院についてはまたの機会に書くこととして、自分はもはや癌から逃げられないのっではないか?手術するとしたらこの大きな病院でするのだろうか?きっと古くからの友人にお願いして身を委ねることになるのだろう?などと考えていたら、

先輩、クヨクヨしても始まりませんよ❗️今日見ていただく先生は泌尿器科の医師の中ではうちの病院の中で前立腺の専門家NO1ですから大丈夫大船に乗ったつもりで任せてください。

こんな自分のためにここまでしれくれるなんて嬉しくて涙が溢れた。でもさ〜大船に乗ってと言われれば乗るし信頼しているし、それでもがんと言われれば死を覚悟しなければなりません。

そうだ俺は、この古い友人の紹介で泌尿器科の専門家に診察をしていただき余命を正確に診断していただくためにお願いしたんだった。そしてその結果を元に自分の残り少ない人生設計を考えることだった。

忘れてはいけないそこが本当に重要なことだった。どうも、女々しい気持ちが浮かび上がって来るのだが結論は友人の病院で型をつけることだと改めて決心した。

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