小学生の頃

小学生の頃は宮城県のIという町に住んでいた。その頃家は結構羽振りが良くて金持ちのボンボンという感じの生活をしていたように記憶している。

何がって、小学校3年ぐらいまでは算数も国語もまるでダメ!自然のままで育ってもう馬鹿丸出しで生活していたように思う。

それが、小学校3年の夏小学校の近くに家があったものだから毎日海パンで学校のプールに通っていた。ある日担任のA先生に教室に呼ばれ、一人海水パンで補修事業らしいものを受けていた。馬鹿だから、それから毎日海パンでプールにと入るつもりが小学校に行けばA先生に事業を一人で受けるという日が続いていた。

今考えると、勉強しに行くのだから行かなきゃ良いと思うのだが海パンはいてプールに入りに行こうとして勉強を教えてもらうというのが夏休み中続いた記憶がある。もう60年も前の話なのに今でも鮮明に覚えている。

小学校4年になった秋口のある時東北本線と父親が経営していた会社のダンプが事故を起こして会社が倒産してしまい一家揃って東京に出てきた。

確か、親父はその時夜警の仕事についていたという記憶がある。小学校4年生で東京にそれは東北から東京だから学校ではズーズー弁を馬鹿にされた思い出がある。それでも海パン勉強で少しは勉強ができるようになっていたらしく結構勉強はできた記憶がある。

今考えると、小学校の海パン補習が自分の人生を変える第一の節目になったような気がする。A先生にはその後会っていないが自分の人生では恩師と言っても過度んせはないだろうな。

その後の人生には少なからず大きな影響を与えてくれたと思う。今日は1月1日改めて感謝した。人生は不思議なものだとつくづく思う。なにが起こるかわからない。

小学3年生の海パン補修、そしてコペルニクス的な裕福から貧乏に、そして東北から東京へ変われば代わるものそれが人生といえば人生なのだろう。60年も前のことなのに断片的だが思い出す。子供ながらも激しい変化だったので断片的にフラッシュバックする。

会社が倒産した後、親戚と銭湯らしきところに行って邪魔者扱いされたっけ!そんなことも今日思い出した。ふ〜む、自分の人生だけれど振り返るって悪くない。

明日もまた、書こうかな。

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